実は、小学校から大学まで野球部だった(大学の野球部はいろいろあって中退。大学はかろうじて卒業した)が、高校は写真部だった。1996年に高校に入った広末涼子と同い年な私は、もちろん、時代的にフィルムカメラ。高校に入る前の、中学2年の時に、中野のフジヤカメラの通販で買ったのがFM2。当時、父親のFMがあって、35-105mmのズームをつけていたので、標準レンズが余ってたのをゲット。途中、一回落としてしまいOHに出した以外は問題なし。
大学に入ってもちょこちょこ写真を撮っていたけど、F90の便利さに心奪われ、ミノルタのレフレックスの500mmが使いたくてα8700だったかα7だったかを買ったり。当時、京都にいて、三条大橋のたもとに中古カメラ屋があってバイト代が入るたびにレンズ買ったりボディ買ったりしてた。定期的に訪れる資金難で色々売ってしまったけど、一番金になったであろうFM2はなぜか売れず。
仲の良かった同級生が、働き出して、FM3Aを買っていていいなぁと思ったこともあったが、AEなんてなくてもいいもん!ということにした。
大学を卒業するぐらいから、デジカメの時代がきて、FM2は実家でお留守番することになったが、コロナで外出ができないので、部屋を片付けたら当時のフィルムが大量に発掘された。これはおいおいスキャンするとして、フィルムでまた写真撮るかなーと何かに火がついた。
おおむね20年ぶりに電源を入れた、かつての相棒は、何事もなかったように、電源も入るし、シャッターも切れる。レンズも少しピントリングがスカスカではあるが、なんの問題もない。ピント合わせが昔より遅い気がするのはきっと老眼のせいではない。感覚を取り戻すのに時間がかかっているだけだ。
いつ出番が来るのかわからないのにずっと待っていてくれたようで、少し泣きそうになった。
めったに実家に帰らないぽんこつな息子でも、たまに帰れば全肯定で迎えてくれるいなかのおかんのような存在だなと、ふと空を見上げ、母親を懐かしんだ。こんなことを思うあたり、歳を取ったのかもしれない。
おかんは生きてるし、実家のすぐ近くに住んでるし、手をちゃんと洗えとラインもくる。息子はもうすぐ40歳だ。